石垣や船着き場、日本人生活の痕 尖閣上空

緑に覆われた石垣、整地された船着き場――. 中国・台湾との領有権問題で揺れる尖閣諸島を2日、本社機から取材した. 上空から見えたのは、かつて日本人が生活していた痕跡だった. 沖縄・那覇空港から西へ約400キロ. 出発して40分ほど過ぎると、朝日が照り返す海面に魚釣島が現れた. 広さ約3.82平方キロメートル. 尖閣諸島の中で最も大きな島だ. 周辺にはサンゴ礁に囲まれた北小島、南小島や岩礁が見え、辺りを海鳥が行き交う. 早朝、東京都の調査団が乗った海難救助船が現れた. 海上保安庁の巡視船3隻がその周りを囲むように航行する. 海保はふだんから周辺海域に巡視船を派遣し、24時間態勢で警戒する. 魚釣島は、海辺からしばらくヤシ科のビロウ林が覆う傾斜が続き、島全体が鋭い峰になっているように見える. 高いところで標高約360メートル. 島の西側には、海岸を逆L字形に削って造った船着き場の跡があった. 尖閣諸島に日本人が住んでいたのは1890年代後半から1940年にかけて. 魚釣島を中心に一時は約250人が暮らした. 島には、石垣に囲まれたかつお節製造工場、わらぶき屋根の民家が点在したという.