ワルキューレ』母べえ

笑顔あるところに平和あり. 改めてそう思える映画ではあったものの、その一方で反戦メッセージがとても脆弱に感じた映画でもありました. 自伝的小説の映画化とはいえ、やはり山田洋次監督の型にはまった脚本と演出よりも新鮮味を感じる新しい風をこの映画に取り入れてほしかったと感じました. 吉永小百合さんご自身が「私は母べえというよりは婆べえですから」と自虐ネタを言ってしまうほど、映画を見る前は吉永小百合さんの年齢を考えるとこの役は不釣合いでは? と思っていました. で、実際に見てみると久子さんから書生の山崎さんの想いをしってドキマギするくだりなどは「う~ん、どないやろ? 」だったのですが、それ以外はやはりこういう役が似合うのは今の日本映画界には吉永小百合さんしかいないのだろうと思いましたよ. やはりこの女優さんのさらりとした存在感は素晴らしいですね. ただ個人的に山田洋次監督の脚本と演出が性に合わないということもあるのか、この映画は凄くバランスが悪いようにも感じました. あくまでもこれは私自身が感じていることなのですが、山田監督の映画ってまるで「こう作れば無難にいい映画ができる黄金の方程式」にただ当てはめているだけのように感じることが多く、この映画に関しても時代に合った構成や演出などあまり気にしていないようにも思えるんですよね. 例えば前半での班組合での会合で天主様に敬礼することでモメるくだりや、父べえとの面会で山ちゃんが泣きじゃくって何も質問できずに面会時間が強制的に終了してしまうくだりなど明らかに笑いを取りに行こうとしているのですが、それらは全て「ここで笑いが必要か? 」と思えるものばかり. 笑いをどうしてもこの映画に取り入れたいのなら、 『ラブ・アクチュアリー』 のローワン・アトキンソンの役処のように笑いを一箇所に集約すればいいだけだと思うんですよね. つまりこの映画の場合なら笑福亭鶴瓶さんが演じた奈良からきた仙吉おじさんのくだりに. またラストの母べえの「父べえに死んでからは会いたくない、生きているうちに会いたかった」という言葉も唐突. ついでに山ちゃんや久子さんの最期も扱いがぞんざいです. どこか「風呂敷をちょっと広げすぎて最後の方は畳むのも少しいい加減になってしまいました」みたいなものを感じてしましたね. う~ん、いいお話ではあると思うのですが、全体的にインパクトが脆弱に感じたがためにメッセージ性も弱く感じたのは非常にもったいない気がしました. ただこの映画で笑福亭鶴瓶さんの素みたいな演技力には驚きでした. 先日のブルーリボン賞で他の俳優さんたちが「次元が違う演技ができる方」と絶賛するのも納得でしたね. 深夜らじお@の映画館 は山田洋次監督の作品との相性があまりよくありません.

少なくとも43回は企てられてきたというアドルフ・ヒトラー暗殺計画. その中で最大で最後の暗殺計画がこのワルキューレ作戦だそうです. 史実を描いた映画ということで、ヒトラーの結末が有名なためにこの作戦の結末も分かっているはずなのに、それでも全身で感じてしまう最後まで先の読めないようなあの緊張感. 非常に地味な作品ではあるのですが、歴史モノというだけでなくサスペンスとしても十二分に楽しめる映画だと思います. 20世紀最大の独裁者アドルフ・ヒトラーの暗殺だけでなく、ナチス親衛隊までも抑えてベルリンを掌握し、新政府樹立までを目論んだこのワルキューレ作戦. ヒトラー暗殺だけなら個人的な軍事判断だけで済むところが、ベルリン掌握まで計画に入れているため、必然的に集団的政治判断も必要とされるところがサスペンスとして非常に面白いです. というのもシュタウフェンベルク大佐が現場で行っていたのは間違いなくヒトラーを爆死させるという軍事作戦. 会議場所が変更になったりなど当初の計画と多少のズレがあろうとも確実に実行に移すのが使命. 対して電話連絡を待っていたオルブリヒト将軍がワルキューレ作戦実行に踏み切れなかったのは彼が軍事的にではなく、政治的にこの作戦に参加していたため. 本来反逆行為を開始した時点で捕まれば死刑になるのですから、計画と多少ズレがあっても行動に出るのが定石. なのに保身という政治的思考が働いたためにヒトラー暗殺の確認というさほど重要ではないことを重視してしまった愚かさ. これがこの作戦の最大の失敗だったと思います. でも歴史的に見るとこの作戦の失敗はそれだけではないんですよね. それはヒトラーの側近をシュタウフェンベルク側が甘く見ていたこと. 劇中何度もヒトラー肖像画が登場しましたが、その肖像画は各部屋によって違うものばかり. これはヒトラー政権が単純な組織ではないことを暗示しているのだと思いました. 現にこの作戦の形勢を逆転させたのもベルリンオリンピックプロパガンダに使った宣伝大臣のヨゼフ・ゲッベルス. 自身が逮捕される直前にも関わらずヒトラーの肉声を聞かせることで予備隊隊長を短時間で説得し、すぐさま反逆一味の逮捕を支持するなどその賢さは恐るべきものです. シュタウフェンベルク側の暗殺計画にナチスNo.2のヒムラーの名前があったのに、ゲッベルスの名前が入っていなかったのも歴史好きからすれば、ここに落し穴があったのね~と思えてしまうんですよ. そして映画的にはやはりシュタウフェンベルク大佐の義眼の存在も凄く効果的だったと思います. 誰が協力者で誰が裏切り者か判断できかねない疑心暗鬼のなか、作戦実行に必要な自らの熱い心と第三者的な冷静な視点をシュタウフェンベルク大佐の残った眼(右目)と外に出た眼(義眼)をメタファーにして描いているんですから. 後半義眼が全く登場しなかったのも作戦が徐々に失敗への道を辿るメタファーだったのかも知れませんね. ビル・ナイケネス・ブラナーテレンス・スタンプトム・ウィルキンソンといった名優たちが織り成す緊張感も見事でしたし、本当に地味な映画なんですが非常に面白い映画でした. でもよく考えたらこの4人全員イギリス人なんですよね. 問題なかったのかな? 深夜らじお@の映画館 は冒頭のヒトラーの説明は不要だと思いました.