楽天・田中、大リーグ挑戦の希望伝える 球

米国のキャロライン・ケネディ駐日大使が10日、被爆地・長崎を初めて訪問した. 長崎原爆資料館(長崎市平野町)を見学し、被爆者から体験談を聞いた後、報道陣に向けて「深く心を動かされた. 可能な限り、(長崎の)みなさんの取り組みの支援をさせていただきたい」と語った. ケネディ氏は、大統領だった父について「核軍縮のプロセスを始めたことを誇りにしていた」と振り返り、「オバマ大統領もその目的に尽力しています」と話した. ケネディ氏は、資料館で田上(たうえ)富久市長と中村明俊館長の出迎えを受け、約30分をかけて館内を見学. 案内した中村館長によると、原爆で破壊された浦上天主堂を再現したレプリカを熱心に見て、「同じ場所に現在の天主堂を建てたのですか」と質問した. また、被爆者の土山秀夫・元長崎大学長や朝長万左男・日本赤十字社長崎原爆病院長らと館内で懇談し、原爆が投下された当時の様子などについて聞いた. その後、戦後に再建された浦上天主堂を見学し、平和公園平和祈念像に献花した. ケネディ氏が白い花輪を捧げて一礼すると、来訪を聞きつけて見守っていた人たちから「ありがとう」との声も上がった. ケネディ氏は笑顔で近づき、握手に応じていた. 長崎市を訪問した米国大使は戦後5人目. 今回は米国が市に寄贈したハナミズキの植樹式に出席するための訪問で、田上市長とともに平和公園で植樹をした. ケネディ氏は1978年、叔父の故エドワード・ケネディ上院議員広島市を訪れ、平和記念資料館を見学している. ◇ ケネディ氏が原爆資料館の芳名録に記したメッセージの訳は以下の通り(抜粋). 「私は、より平和な世界の実現に向けてずっと努力してきた長崎の地に立って光栄に思います. 長崎の方々の努力に寄り添いたい. それは、世界にとって示唆に富んだことです.

プロ野球楽天は、仙台市内の球団事務所で17日、今オフの大リーグ挑戦の意思を確認するため、田中将大投手と面談した. 田中は終了後に記者会見し、「来シーズン、メジャーに挑戦させてほしいと、希望を球団に伝えた」と明らかにした. 田中によると、球団からは「預からせてほしい」と回答を留保されたという. 立花陽三球団社長は、昨オフの契約更改で大リーグ移籍を希望していた田中への意思確認については、一貫して「制度の正式合意後」としていた. その上で「球団としては残ってほしいとお願いする」と話していた. 小沢一郎・生活の党代表 今年は午(うま)年で私も午年だ. 昔からの言葉に、麒麟(きりん)も老いれば駄馬になる(麒麟も老いては駑馬(どば)に劣る)という言葉がある. 一昨年からの一連の結果を見ると、「もう小沢一郎も老いて駄馬になった」と言う人たちがいる. しかしながら、このまま駄馬となって老い、死んでいくわけにはいかない. 主権者たる国民の意識が政治を変える. 永田町の政局で変わるのではない. 国民自身が、自民党政権は強者の論理による政治でしかなかったんだと、必ず近いうちに気づくだろう. 古来中国において、良い政治が行われる時に麒麟が出現すると言い伝えられてきたという. 私自身も麒麟となって、全力で駆け抜けて参りたい. (都内の自宅での新年会で).